幸せを呼ぶ吉ゾウくんがいるよ
笠森観音にいく途中あり何気なく立ち寄ってみましたが中世には西の比叡山、東の長福寿寺と言われたくらい由緒のある大寺院だそうです。
寺のHPをみても幸せを呼ぶ吉ゾウくんを中心にややポップな感覚のお寺で楽しかったです。
旅行のクチコミサイト フォートラベルに投稿された記事です。
(投稿者:福さま/投稿日:2013-09-07)
http://4travel.jp/domestic/area/kanto/chiba/choushi/chonan/tips/10799268/#contents_inner
【住職より】
福さま、お参り下さり誠にありがとうございました。
長福寿寺は、およそ1200年の昔、延暦17年(798)に桓武天皇の勅願により、伝教大師最澄〔天台宗の宗祖〕によって創建された由緒ある大古刹です。
中世においては日本三大学問所(談義所=僧侶の大学)として寺院子弟の教育にあたり、西に比叡山、東に長福寿寺ありと称せられ、実に関東天台の要をなしていました。
また、上総・下総・安房の房総三国(現在の千葉県全域)における大本山として末寺308ヶ寺を有し、各寺院を統理していた大古刹です。
大原三千院(京都)、毘沙門堂(京都)の両門主も当山の住職になり、その縁をもって『三途河頭極楽東門蓮華台上阿弥陀坊太平埜山本実成院長福寿寺』という日本一長い勅号を賜っております。
元亀2年9月、織田信長はその政策に反抗したという廉で、比叡山を焼き討ちしました。
天正年中、比叡山の再興に際し、叡山豪盛僧正は、長福寿寺に援助を求め、当時の住職・第17代学頭豪山僧正は木材を贈進し、その材木によって比叡山「根本中堂」が再建されたのです。
その後、徳川将軍援助のもとに現在の根本中堂が造営され、元の根本中堂の材木によって建てられたのが長福寿寺の本堂であり、その縁をもって当山の本堂は「根本中堂」の号をゆるされているのです。
徳川時代には、将軍より寺領50石が寄進され、10万石の格式が与えられており、年頭の礼には御城書院独礼席の待遇を受けていたのです。
これは正に桓武天皇の勅願寺として由緒正しきが故です。
このように、長福寿寺は歴史的にみても関東屈指の大古刹といえるのです。
詳しくは、長福寿寺の【HP】をご覧下さい。
桓武天皇勅願寺 長福寿寺 第56世住職 今井長秀
今井長秀
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